【目次】 前p2-37<<【p2-38】>>次p2-39 12.小生物 食料増産のために用いられている、[殺虫剤」「殺菌剤」「除草剤」などの農薬は、終戦後から使用し始めたも のであり、これらの農薬を使い出してからは、其れまで棲息して居た小生物は全滅してしまいその姿を見ること は出来なくなってしまった。 昭和21年頃までは田圃には、天然の 『ドジョウ』 『ツボ(田螺)』 『アカンベロ』《写真a》 等が棲んでいた、此れらの生物を吉野の人はあまり好んでは食べなかった。ドジョウ はカシドリ 「かけす」を飼っている人が餌にするために取っていた、長い縄のついたカゴのなかに小糠を炒っ て握り固めたものを入れて田圃の中にほうり込み、30分くらい待っていると、ドジョオがピチビチと音を発てて寄 って来て寵の中に集まってくる、頃合いを見て引き上げるのである。一回で2〜30匹は取れた。 (ただし食用にはしなかった。) ●鯉 ・『鯉』 田植えか終わると、農会から鯉の稚魚を買って来て田圃に放し秋の水切り前まで餌を与えず放置して 飼い、5〜20センチの大きさに成長した鯉を大笊に入れ川の真水で泥をはかしてから、腸を出し、鱗を取って、 サンショの葉っぱを大量に敷き詰めた鉄の大鍋に入れて煮て食った。 これは実に美味で貴重なタンパク質の大量摂取であった。一度に100匹は煮た。稚魚から成魚になる歩留まりは 70パーセント位であった。残った鯉は清水が出る場所に深い井戸を掘り其の名かで冬越しをさせて翌年再び田圃 に放して30センチ位の大きさに育てた、此れくらいの大きさになると 「鯉こく」や「甘煮」 用として、桶に 入れ天秤棒で担いで町へ売りに行く人も居た。上松祭り (九月七日)等ではよい御馳走となった。 ●いなご 『いなご』《写真b》秋になると『いなご』が大量に発生した、稲の葉を食うと言 う弊害もあるが、人々はこれを捕捉して、木綿袋に入れ、熱湯の中に静めて灰汁(薄い緑色の)を出し、砂糖、 醤油で炒るように煮付けて食べた。《写真b》カリカリとして歯ざわりがよく美味で ある。これはカルシュウムの摂取源となった。 |
記事: 『鯉』については、子供ころは田圃に放し、秋捕って食べましたが、何時のことか判らないが、鯉を放すのは止め てしまった。 思い出としては、食べるより、秋になって田圃の水を少なくして(鯉を放してある田圃は当然ですが何時も水を 張ってある)、鯉を捕まえるのが楽しかった。また、臭み取りにサンショの葉っぱを入れて煮たが、サンショは どの家にも植えてあり、煮る前の準備として、サンショの葉っぱ取りは子供の仕事だった。 <a.アカンベロの写真> 吉野では「イモリ」ことを「アカンベロ」と言っていました。 池にはよくいましたが、気持ちが悪いので触ったことがない。当然食べたことも ないが、確か子供のころ「カンベロ」を黒焼きにして、食べると薬になると聞いた 記憶がある。(寝小便が直るだったと思う)(ただしオレは飲んだことがない) Webで名前を調べたが、最近はペットとして飼っているようだ。世の中変わったね! <b.イナゴの佃煮> 『いなご』についても、秋になると田圃の周りで捕ってきて、上記のように佃煮の ように煮付けて食べました。 中学生に成ったころからは食べた記憶がないので、これも何時ころからか 定かでないが止めてしまった。(イナゴが居なくなった) |
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