【目次】 前p2-41<<【p2-42】>>次p2-43 (2)おひまち 六日には村日持ちがあった、『おひまち』は当番の家に集まり、別の神棚を設け、松、榊(ショゴイという木 で代用した)しめ縄を飾り、桧の板に火揉みの(ムラサキシキフの木)棒を強く擦り付けて、火を起こした火を灯 明に移して灯した。 祝詞をや般若心経をあげて、豊作、無病息災を願った、其の後は煮しめで酒を酌み交わし歓談していた。子供た ちも集まり、別の部屋のコタツで、カルタ、花札、双六などをして遊んだ。越し伯母(この人は一生独身)が玩 具や福引などを売りにきていた。 (3)七草 七日は七草の日でセリや大根の入ったお粥を食べた。 (4)厄落 十四日の深夜には、厄年の人(男25歳・42歳、女19歳・33歳)が厄落としのため、神社、お堂、石仏、の別れ 道などに銭を撒いて歩く風習があった。子供たちは十五日の早朝競って落ちている銭を拾った。一銭銅貨か五銭 銀貨が主で十銭は滅多に拾えなかった、其れでも正月の小遣い銭になった。 |
記事: 『おひまち』は小学校低学年頃はまだあった。自分の家が当番に当たる年には、近所の大人が集まり酒を飲んでい た。 子供も一緒について来て、この日は夜遅くまでコタツで遊んだ記憶があります。ただし、中学校になった頃には 『おひまち』の行事は無くなっていた。 十四日の深夜に、厄年の人がお宮などに銭を撒く話は、幼少のころはあり、「お宮」や「塞ノ神」へ銭を拾いに 行った記憶があるが、何時の間にか無くなっていた。 |
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