【目次】 前p2-42<<【p2-43】>>次p2-44 (5)どんど焼き 十五日の朝はしゃいの神(塞ノ神)で門松を燃やす行事が有り『どんど焼き』、朝早くから村中の人が出て門 松や、神棚、寵、水屋、便所などに飾った松やしめ飾りを一斉に燃やした。終わりころ熾きの上で餅を焼いて食っ たり家に持ち帰った。 松の燃えさしを一本持ち帰り豪の屋根の上に投げ上げた、火の用心の呪いであった。 (6)小正月 小正月(十五日)には、簡単な年とりを行い、正月より小規模の御馳走を食べた、十六日に小正月が終わると 、山仕事などに行っていた人は、布団や着替えを蒲のゴザに包み背負って再び山仕事に戻って行った。 (7)二十日正月 二十日正月もあったこの日はダイコンを炊いたりして食べた、大根や芋の中にウサギの骨、ブリの頭などが入っ ていた。 また山から切って来て置いたビンカの木に繭玉型の団子を刺したり小さいミカンをぷら下げたりした。 《写真a.》此の木は高さ二メートル位有り台所の柱に添えて立てておき二月に入って から抜き取って焼いて食べた。 (8)節分 二月四日は節分の日だ。庭先には直系十二センチ長さ、四十センチくらいの柔らかい木?で、『だいこ』と言 うものを作りさきを削り、上の方に十三本の刻みをつけて、玄関に立て掛けておいた、夜鬼が来てその刻みを数 えるが、どうしても一年の十二月ににらない、何回か数え直して居るうちに夜が明けてしまい、悪さが出来ないと 言う呪いである。 家の北東の鬼門になる壁には、榧のきの枝に鰯の頭を刺したもを桟に刺しておいた、これも魔よけの呪いである。 夜は家の主が抄った豆を升から取り出して各部屋に撒いた、福は内である。この日は、大きな鰯の塩物を焼いて 大根にウサギの肉や骨を入れたり、ブリを入れたりしたもの食べた。撒いた豆は各人が年の数だけとって神棚に 置いておき、その年に最初に雷が鳴ったときに食べるようにしていた。 |
記事: (5)十五日の朝はしゃいの神(塞ノ神)で門松を燃やす行事は、自分が吉野に居る頃は続いて、松の燃えさしを 一本持ち帰り家の屋根の上に投げ上げるのも行っていた。 現在も同じ場所で『どんど焼き』を行っているかは判 りません。 (7)二十日正月については、「大根や芋の中にウサギの骨、ブリの頭などが入っていた」煮物については、たし かこんな食べ物があった気がする。この日かどうか覚えていないが、正月につぶして食べたウサギの骨は殆ど肉 が付いていなくても、骨を金槌で叩いて粉々にして団子にて食べた記憶があるが、食べたのはこの日だったかも知 れない。 <a.繭だんご飾りの写真> 山から切って来て置いたビンカの木に繭玉型の団子を刺したり 小さいミカンをぷら下げたりした。 これは小学生の頃は、行っていたが、 蚕を飼わなくなったこともあり段々行はなくなった。 (ここ写真は、繭だんご飾りの、覚えていたのと同じイメージの 図をWebから探して掲載しました) (8)二月四日は節分の行事の、「上の方に十三本の刻みをつけて、玄関に立て掛けておいた」と言う話は記憶にな い。 「撒いた豆は各人が年の数だけとって神棚に置いておきその年に最初に雷が鳴ったときに食べる」件は、まだ同じ だった。 |
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