【目次】 前p2-43<<【p2-44】>>次p2-45 (9)初午日待 二月の最初の午の日には初午日待ちがあり、此のときもにぎやかであった。 (10)お浬槃 二月十五日のお浬槃の日には、『まっあんば』の庚申塔の石仏に長さ;一メートルくらいの草鞋を吊り下げ、 小豆粥や木曽菜の漬けた物を進ぜてお参りをした。毎年中畑要蔵さんがお祭りしていた。大師様の伝説も関連し ていたが、もはや思い出せない。 (11)虫祭り 三月初旬虫祭りがあり、宿の家で吉野念仏を申し、その後竹の幟を打ち振ってお祓いし各田畑をまわり虫追いを した。 途中新仏の家のお墓で念仏を申し、最後に『まっあんば』のお堂のまえの原で、各自の鐘を叩いて長い念仏を申し た。 朝から夕方までの一日仕事であった。 (12)彼岸 お彼岸には各家で牡丹餅や黄な粉むすびを作り、夫れ夫れの縁者の墓参りをしていた。 彼岸の後に馬屋の肥え背負いの手間借りで春の農作業が始まり出した。 (13)ひな祭り 旧の三月三日はひな祭り、女の子は『ひんなさま』を箱から出してもらい床の間などに飾ってもらいひな祭りを 楽しんだ。 『ひんなさま』は大概瀬戸物出で来て居た内裏様などもも有ったが天神様や普通の人形様などもあり、割れた物 もまざっていた。 (14)田起し 四月の初めには苗代作り稲の種蒔きが始まり引き続き万能と言う鍬による田起こしの重労働作業がはじり、引 き続き田圃には水を入れてこなし五月の末には柴を入れて踏み込み、田圃の表面の凹凸がなくなるように小切って 整形した。 (15)春祭り 五月三日の二百十日には、春のお祭りをした、春祭りは質素な物であり『はりきば』の水天宮と『ひかんべら 』の山の神で、村の人が祝詞を1げてから、洒を飲んだ、祭りの場所は一年交替で行っていた。 この日は駒ヶ岳神社の里宮(野尻の上)で大太神楽を舞うお祭りがあり、吉野の人も大勢里宮のお祭りに出掛けた。 此処には野師などの店が出て、子供たちは楽しみにしていた。 《写真b》 |
記事: (9)(10)(11)については記憶に無い。 (12)のお彼岸にお墓参りをするのは今も同じ。 (13)3月3日のひな祭りについては今も同じ、オレの家でも『ひんなさま』を箱から出して飾りました。 (15)については、子供はその下に記述の、駒ヶ岳神社の里宮のお祭りに行きました。 (吉野のこの祭りは参加の記憶なし) <a.『はりきば』の水天宮りの写真> 『はりきば』の林の中に、なぜ「水天宮」がある のか判らないが、この石碑の前が平らで広く なっており、村中の人が集まってお祭り (洒を飲む)スペースがあります。 <b.駒ヶ岳神社の里宮のお祭りの写真> 吉野と直接は関係ないが、吉野の春祭りと同じ5/3日に里宮のお祭りがあり、こちらはかなり有名。 毎年5月3日に行われる駒ヶ岳神社のお祭りで、国の選択無形民俗文化財に 指定される「太々神楽」が奉納されます。13座で構成された舞台で、 地区の家々に一子相伝で伝えられており、門外不出とされています。 舞台では、剣を手にした3人の舞手による「三剣の舞」や、4人の天狗が 舞う「四神五返拝」の姿が有名で、迫力ある瞬間を見ようと毎年多くの 観客・カメラマンで賑わいます。 |
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