【目次】 前p2-12<<【p2-13】>>次p2-14 6.馬 吉野では、昭和10年代約25軒位の家で木曽馬を飼育していた。一軒の家で平均四頭くらい飼っていたから全部で 約100頭くらい飼育していた。 (1)明治のはじめの記録 明治7〜12年に各村の戸長が、長野県県令楢崎寛直へ出した書類を調べた結果では、駒ヶ根村、馬100頭と書いて あるらしい。此れから類推すると、当時吉野での飼育数は50頭もいたかどうか?と言うことになるが、この書類 の馬数は少な過ぎるような気がする、何かの事情で控えめに出していたのかも知れない。 (2)馬市 (お毛付) 木曽教育会館偏の木曽郷土図譜によると、昭和10年郡下の飼育数は4811頭を数えたが、昭和30年後半より激減し 、46年には120頭になったと書いてある。 昔は尾張藩の毛付け改め制度というものがあり、留馬から除外されたいわゆる下等馬を自由に売買できた。明 治になり毛付け改め制度が無くなると、福島町で7月の始めに馬市が開かれ盛んに売買されるようになった。 白河の馬市と併称せられる程古来から有名な馬市であった。ここは7月の2日から五日間福島町青木町北の青木河 原に臨時の厩舎をこしらえて売買していた。買われ行く所は岐阜県が一番多く次は愛知県、山梨県、県内では上 下伊那、東筑、南安、諏訪等である。 昭和11年7月の成績として次の記録がある。(木曽教育会館・木曽郷土図譜) 出場頭数 1026頭 (参考:1405頭-大正9年夏市 売却頭数) 売却頭数 761頭 総売上高 66、917円 最高 200円 最低 20円 平均 87円92銭 (3)木曽馬の減少 戦時中、種馬統制令により種牡馬も去勢され、木曽馬の数は急激に減少した。戦後開田村で、神馬として保護さ れていた『神明号』が見つかり、その子春山号と種牡馬を育て、その系統の馬が何頭か飼育されているらしい。 《写真a》 |
記事: <a.木曽馬の写真> 上記吉野小史では、「開田村で木曽馬が何頭か飼育されて いるらしい」。となっていますが、この写真は2009年に 開田高原へ遊びに行ったとき撮った写真です。 現在30頭ほど飼育されています。保存事業もしているだ ろうが、有料の乗馬コースもあり最近では開田村 (今合併して木曽町)の重要な観光資源と感じました。 下記が木曽馬のことが詳しく記載のWebページです。 木曽馬乗馬センター |
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